残ったもの、外れたもの、くっついたもの

手紙 (文春文庫)

手紙 (文春文庫)

秘宝のドリー尾崎の激賞はいったい何だったんだろうか、と原作を読んで改めて思う。
原作を面白く変えることは構わない。
が、ことごとく登場人物をあそこまで薄っぺらにしてしまったのは何故なんだろう。それこそ悪い意味での「TVの延長の映画ごっこ」ではないかと思う。
で、なぜバンドではなくお笑いだったんだ。バンドブームだからバンドを始めた人間との差異をきっちり描いた原作。お笑いブームに乗っかってるとしか思えない映画。確かにバンドをまつわる描写に疑問符がないわけではないけど、少なくとも彼らの熱は伝わってきた。でもって『ちゅらさん』の恵達が音楽に向かう姿勢の方が映画の直喜がお笑いにに対するものに大きく優って見えたのはなんだ。電車男はありで、ちゅらさんはナシってのがようわからん。まああの曲は諸事情で使えなかったにしてもだ。ついでにいうと、小田和正は確かにビートルズの影響を受けているけど、でも、彼に見えるのはポールの影でしょ。それ自体は良いことなんだけど。でもね。「想像してごらん」が歌えないと「言葉にならない」は全く反対側に存在してるもんでしょ。
映画でホント呆れた被害者の息子のうーーーーも、自称婚約者の「お前に食わせるタンメンはねー」ポーズも原作にはない。あーあ。
そして、何よりすっぽり抜けているのが肝腎の「手紙」に関する

以前よりも格段に漢字が多く使われるようになっている。何通目かの手紙に、最近は辞書を使うよう成ったと書いてあったことを思い出した。文章の流れもずっと良くなっている
(p87.文春文庫)

というような部分。この変化が最後の手紙に繋がっていくという非常に重要な要素なのに。