パーフリまたぎ

2006-08-20 - 伊藤剛のトカトントニズム
ミュージック・マガジン

特集「フリッパーズ・ギター」であります。こうやって回顧されるようになったんですね。解散からすでに15年経つのだから当然ですが。
(略)
ぼくの90年代はまんまフリッパーズに規定されているといっても過言ではない(略)

フリッパーズも歴史になったんだなーという感慨。
で、昨日『ヘルタースケルター (Feelコミックス)』を読んで、どっかでだれかが"羽海野チカハチミツとクローバー』は三巻くらいで終わっとけば岡崎京子になれたのに"と言ってたのを思い出した。まあ、岡崎京子にならなくちゃいけない理由はどこにもないんだが。
でもってこの二人の作家ってば、伊藤氏のいうところ90年代をフリッパーズをまたいでいるんだなとふと考えた。岡崎がプレ・フリッパーズで、羽海野がポストフリッパーズ。『『ヘルター・スケルター』でウィスパーヴォイスの歌姫をプロデュースする大山田くんなんていう軽口をたたく岡崎と、映画『ミソクロ』の挿入歌をスピッツカジヒデキが担当したを涙ぐむ羽海野を比較してみたりしてら、そーなんじゃないかと思った。
東京ガールズブラボー』でのび太くんが自殺を思い留めさせようと羅列した固有名詞はフリッパーズの登場で「宝島」「英国音楽」周辺以外にも広がった(のか)のに対し、スピッツがもろバーズで登場したりでてこれたのは、ダブルKOの"ネオアコ"布教の結果(成果ではなく)だったということも。
単なる思い付きですが。
参考

拝啓 小沢一郎殿 小泉純一郎殿

拝啓 小沢一郎殿 小泉純一郎殿

ではなく
前略 小沢健二様 (\800本 (1))

前略 小沢健二様 (\800本 (1))

※それにしてもこの雑誌も本家に負けず劣らず定まらない雑誌なぁ。