訃報に際して

訃報に際しのて彼女の紹介「××の」がテレビでは「歌手の」と「女優の」とに分かれていた。ちなみに日刊スポーツでは「ミュージカル女優としても知られる歌手の」である。
「マリリン」のころを知るものとしては、「アーティストの」が無かったのが非常に惜しい。今でこそ曲名、アルバム名にくっついてるのは「アーティスト」名であるのは普通だ。ただ、彼女が「私はアイドルじゃなくてアーティスト」発言をかました時代はそうではなかった。「洋楽」に親しんでる者としては「アイドルでなおかつアーティストってのもアリじゃないの」とは思うことはあっても「アーティスト」って言葉は別に違和感は感じなかったのだが、世間ではそうでなった。その習慣が無かったジジ・ババどもや単にものを知らないガキがその言葉に過剰反応をしたのもんだった。「思い上がり」なんていう的外れなこといってた人今どの面下げて悲しい振りしてるんだろうか。
また、とある雑誌(多分ジャンプ)の投稿欄に彼女を非難する「アーティストってお前は絵でもかくんかい」というのが載った時、凄ーく暗い気持ちになったのを覚えている。小学生だか、中学生だかが「知らない」ゆえにそんな意見を寄せてくるのは分らないでもない。しかし、雑誌の編集者がその投稿を掲載する際に、「絵を描くのだけが「アーティスト」=芸術家じゃないのじゃよ」と子供に教えてあげるべきだったと思った。もしかしたら編集者さえも知らんかったのかもしれないが。
今おそらく、その編集者も投稿したガキも雑誌を見てその意見に納得した多くのガキたちも「自然」に「アーティスト」を歌手・演奏者等の意味で使っているに違いない。ただ、そこには本田美奈子(当時)という稀代の「アーティスト」の闘いがあったことを覚えていた方がいい。

恵子姐の涙

日刊スポーツの1面・ニッカンのエースライター梅田恵子の追悼文が泣かせる。

本田さんの担当記者はみんな、彼女を「美奈子」と呼ぶ。(略)「本田さんは・・・」と呼びかけると「美奈子でいいです」と笑顔で催促する。底抜けにフレンドリーな彼女の人柄に乗せられて、結局「美奈子」と呼ぶようになる。彼女が望んだように、この原稿も「美奈子」と書かせてもらう。
(略)
抗がん剤の副作用で髪が抜け、星模様のついたバンダナを巻いた美奈子の闘病写真を見た。不安で毎日泣いていたというのに、それを見る人が心配しないように笑ってピースしてた。いろいろな勇気をもらいました。ゆっくり眠ってください。

芸能人の死亡記事が全く心のこもってない薄ら寒いモノが多いこの世の中で、これに限らず今回の彼女の死に寄せられた記事には本当に悼みと痛みが伝わるようなものが多い。おそらくその要因が上記の「フレンドリーな人柄」によるものなのだろう。
間違いなく梅田恵子姐さんはこの文を泣きながら書いたに違いない。そして、その涙は「悔し涙」なような気がする。