浅田清掃社を観て

http://www5a.biglobe.ne.jp/~hnsk/asada/index.html
サンダンスってことで『モーターサイクル・ダイアリーズ*1とか『東京ゴミ女*2、博多弁ってことで『ROCKERS』*3、地方発ってこことで『ウイニング・パス』*4と比較したくなるけど、そこはぐっとこらえて。
この映画の主人公、川崎は正真正銘シャバ僧である。はっきり言って「羊の皮をかぶった山羊」なやつである。要領も良くなければ、頭も良くない。ゲバラのようにその後に華々しい経歴が待ってるでもなく、ピーター・パーカーみたいに突然ん何かの力を得るわけでもない。だからといって、自分のしょぼさに逆切れしてしまうトラビスのようなアンチヒーローでもない。それこそどこにでもいそうな主人公としての魅力に乏しい兄ちゃんだ。
だから、前半は体育館で座ってみた映画のような感触を覚え、非常に居心地が悪い。(これは勝手な推測だが)監督の分身であるキノピーこと木下がいることで何とか画面には緊張が持続しているような気がして、どっちが主役か判らなくなっていく。いや、これは主役を食っているとか言うレベルではなく、単に「主役」が「主人公」ではない映画なのだ。
が、なんとその木下はすっといなくなる、何の余韻もなしに。そして物語はどんどん横滑りして行き、僕らは何か狐につままれたかのようになり、自分が見ている映画のタイトルがわからなくなってしまう。その時僕らは自分がいる場所(それは学校でもいいし、会社でもバイト先でもいい)をなんとなく思い受けべる。
そして、川崎が独りになり、自分にはさしたる希望もなく、コレといった人助けが出来るはずもなく、喧嘩だって弱いってことを思い知らされた時一つの思いに着地する。
そう、この映画の主人公はスクリーンの前の僕らそのものなのだ。さえない毎日を送り、これからもさして華々しい未来を描くことなど出来ない、そんな僕らにでも人生はある。そんな当たり前のことを当たり前のように確認させてくれ、かといって声高に「頑張れ」とも言わずに、ただただ見つめている。これはそんな映画なのだ。そのことがわかった瞬間に僕らは川崎のようにはにかんだ笑顔を見せることが出来るようになるんだね。

こんな映画あってもいいじゃん、ていうかあって嬉しい。