ふさわしい言葉
僕の日記のそれこそ感情的なこんな文を元にみなさん、まあこんな風に熱くなってらしてる。はっきり云って・・・嬉しい。
でもって、言いだしっぺというか発端として言わせてもらえれば、みんなそれでいいと思う。それぞれがそれぞれの聴き方で音楽に接するってことは。
ただ、それぞれの人がある楽曲やアーティストに接する方法はいろいろあってもいいと思うが、それぞれの楽曲やアーティストを語るのに相応しい言葉というのもあると思う。
僕が先の日記で近藤由美子という日刊スポーツのトンマにムカついたのは、自分たちの薄っぺらなオトモダチ関係を確認する道具として「リンダリンダ」を使ったことである。
やはりブルーハーツの熱さはそういうものではない。下手したら友達失くしてしったり、もっともっと深い友達になったりするような何かを含んでいるのだ。
多分、その近藤は「人にやさしく」も「それが大事」も同じように消費してきた人間だろう。それはそれで結構なことだ。しかし、ブルーハーツと大事MANと間にある大きな溝。それを感じた人間‐ヒロト以外が云うと思いっきりうざったいと思ったような人間にこそ、がんばれ!は強く響いたはずなんだ。
もっともっと青臭く熱く語られるのが彼らには似合う。いや、だからこそあんな映画まで出来てしまった。何年もたって思わず映画にしてしまいたくなるような勢いがあの曲にはあるのである。そのことを理解できない近藤由美子にあの映画やあの曲を、それも新聞なんて公の場所で語る資格はない。お前は『NANA』でも見てろ!