超が今よりもっと「超える」という意味を保ってたころのムック


20年くらい前にポツポツ耳にするようになった体言ではなく用言に連なる、漢字でなくカタカナが似合う「チョー」やひらがなの「ちょぉ」にはちっとも「超える」という意味が残ってなかったと思うんだけど、『100 映画の見方が変わる本』より背が白くなるいっこ前、つまりは最後の色付きの

超プロレス主義 (別冊宝島 99)

超プロレス主義 (別冊宝島 99)

の「超」はまだまだ「超える」という意味が色濃い「超」だ。


じゃあプロレスを「超える」ってなんだったのか?

このムックが出版されて25年たった今、船木誠勝WRESTLE-1を、鈴木みのる新日本プロレスを主戦場にしている事実にその答えはさらに混迷を深めているのかも?